岩出山の里山に広がる農場
「よっちゃん農場」という名前を聞いたことはありますか?
岩出山地区の北部、本道から別れた細い道を進んでいくと
山間の広い田んぼと畑の中に、昔ながらの茅葺屋根の名残が残る建物があります。
“よっちゃん”こと高橋博之さんと、“みっちゃん”こと高橋道代さんが
いとなむ、よっちゃん農場です。
老舗の厳選しょうゆに
無農薬栽培の唐辛子と自家製米麹
よっちゃん農場の看板商品
岩出山の道の駅や地元のスーパーの物品コーナーへ行くと
よく目にする「よっちゃんなんばん」という商品。
パッケージの手描きの文字は味わい深く、
ひときわ目をひき、思わず手に取りたくなります。
丁寧な手仕事とこだわりの素材で
作られた「よっちゃんなんばん」は、
全国の選りすぐりの自然食料品を扱うお店などにも取り扱われ
各地に多くのファンがいます。
彼らがこれまでどのように歩んできたのか
お話を伺いました。
家業を継ぎ結婚
ものが売れるということを知った震災前
よっちゃん農場の始まりは今から20年前。
博之さんが東京からUターンして
ご両親の農業を手伝ったのが始まりだそうです。
「はじめは全く地元に帰るつもりがなかった。」と語る博之さん。
よ「両親ともに兼業で仕事しながら
農業をやってたんですけど、親父が腰を悪くしたのと、
両親が加工免許を取ったタイミングだったんです。
加工ができるんなら農業でもなんとか
生業としてやっていけるんじゃないかなと
思っったのが、地元に帰ろうと思ったきっかけです。」
このまま東京で暮らし続けるのかと思い始めていた
矢先のこと。様々なタイミングが重なって帰郷することになりました。
家業を継ぎながら、外との繋がりを積極的に
取り入れていったよっちゃん。
その一環でよっちゃん農場で開催された
ワークショップに訪れた道代さんと出会い、
お付き合いがスタート。
そして、なんと付き合って半年後には結婚!!
み「第一印象はお互い悪くて(笑)
あっちはなんて生意気な女なんだ!と
私はなんて段取りの悪い男なんだ!と
そんな出会いだったのにね。」と笑いながら話すみっちゃん。
結婚後、アパレル業界や大手デパートで仕事をしてきた
道代さんの販売経験や接客が大いに活躍します。
まだマルシェという言葉のない頃に、
海産物や農産物を販売する
「青空市」という仙台の藤崎前を解放した市に
参加をする機会がありました。
ここで転機が訪れます。
よっちゃんの商品に惚れ込んだ藤崎の食品部の方から
藤崎の催事に出てみないか?と誘われ
地下の売り場にも置かせてもらえることになったのです。
み「当時は純粋な農家さんは出店してなかったんです。
たまたまテレビの取材とも重なった時期で
それはもう怒涛の日々だった。
嬉しいことなんだけど、テレビの影響で
あっという間に商品が売れて無くなっちゃったんだよね。」
よ「他の売り場に負けてられっか!と思いながら売ってました。
調子こいて売ってましたね。」
2人は当時の壮絶さを語ってくれました。
震災前と震災後で
変わった意識
商品がたくさんの人に認められ
順風満帆に見えるよっちゃん農場ですが
心にはモヤモヤを抱えていました。
よ「震災前までは目標を見失ってたんです。
なんとなく食べるくらいには稼いでたから。
震災前のお正月に、今年はどうする?って
車を買うために稼ぐのか?いや、、、別に車が欲しいわけではないし
物を買ってテンションが上がるわけでもない。
何をモチベーションにして働くのか
なんのために稼いでるのかわからなくなっていたんだよね。」
悩みながら日々の仕事をこなしていた時に
東日本大震災に遭いました。
み「震災そのものは悲しかったけど
私たちにとっては気づかせていただいた出来事だった。
今まで外にばかり行って“こなす”仕事しかしてなかったなと。」
「当時、南三陸の方から2000人ほどの人たちが鳴子に避難して来たんです。
その時に何かできないかと、佐藤農場で炊き出しをしたんですよ。
いろんな旅館さんにバスを出してもらって
250人くらいが食べに来てくれました。
いろんな方に何が欲しいですか?
と聞いて回ったらみなさん「仕事が欲しい」っておっしゃって。」
よっちゃんたちは「私たちなりにできること」として
農場へ招き入れ、農作業を手伝ってもらうことにしました。
震災に対する答え
運命の言葉との出会い
裏山から竹を切ってコップ型にして
花苗の植え付け作業をしていた時のことでした。
お手伝いにきていた人の中にいた、あるおじいさんが
竹藪に入り、運命の一言をよっちゃんに投げかけました。
「なんなんだ。こんな山持ってるのになんでこんな荒らしてるのや。」
よ「衝撃だった。当時は藪だらけで荒れ放題だった。
言われて、そうですよねとしか返せなかった。
これではやっぱりダメだと。
そっからです。
よっちゃん農場の意識がグッと変わったのは。」
早速、その冬からよっちゃんは、おじいさんとみっちゃんと
一緒に竹の間伐を始めました。2012年の冬でした。
それから手入れをしてきた竹林は今では風が吹き抜け、
光が降り注ぐ美しい竹林へと生まれ変わりました。
切った竹をチップにする機械も導入し
地面は竹チップで埋め尽くされています。
春になるとフカフカの地面から柔らかい筍がたくさん顔を出します。
よ「色々あったけれど自分の中の震災に対する答えは
この山をきれいにすることだった。」と
よっちゃんは振り返ります。
ものが生まれる風景を伝えていきたい
誕生!ほっかぶりジャパン
震災後に言われたおじいさんの一言で
意識がグッと変わった、よっちゃん農場。
生産者の人と消費者の人をつなげて
コミュニティを作り、想いや風景、
ものづくりの考え方を盛り込んでいかないと
これからの地域がダメになるのではと考え
仲間を募り、若手農家のグループが自ら育てた
新鮮な卵や野菜を直売する「ほっかぶり市」を
立ち上げました。
よ「最初は5人で始まったんです。
ほっかぶりって、笑っちゃうでしょう。」
売り手も客も頭にほっかぶりをするユニークな約束が特徴。
笑顔と会話が自然に生まれる市は話題をよび
常連客も次第に増えていきました。
今までは2人だけで駆け抜けてきた
よっちゃん農場には「仲間」ができ
横の繋がりが着実に育まれていきました。
繋がりから生まれた
ぬくもり弁当
ほっかぶり市を開きながら
地元の農家さんとのご縁が広がったお二人は
みんなの農産物をうまくアピールできるものがないかと考え
お弁当作りを始めることに。
知るきっかけになってくれたらと
生産者を紹介する手描きのメニューをつけて
販売することにしました。
みっちゃんは同時に
自分の母の味を残したいと思っていたそう。
み「母はまだ生きてますけど、
もう身体は動かなくなっちゃって
母のご飯を食べられなくなったんですよね。
今の時代、共働きでみんな忙しい。
それでも食べることの大切さとか、
母の味をなんとか残したいと思っていました。
家族のためにご飯を作る時間は
大事だと思って、お弁当を始めたんです。」
よ「お弁当作りは毎回カオスですけどね!!(笑)
2人で50食が限界です!」
決まったメニューはなく、その時々の旬のものを使います。
ご飯炊き担当はよっちゃん、おかず担当はみっちゃんです。
お弁当作りから、今では地元の幼稚園の給食まで
手がけるようになりました。
よっちゃんたちの作る料理には
作り手のことを知ってもらうきっかけと
お母さんの真心込めた味を伝えたい
という想いがたくさん詰まっています。
これからの
よっちゃんの農場
最後に今後の展望を聞かせてもらいました。
よ「よっちゃんと みっちゃんと よっちゃん農場と。(仮称)
をやろうと思っています。
来てほしいタイミングでうちの仕事(主に畑や山)を
手伝っていただき気持ちよく汗を流す。
報酬はお昼のまかないと収穫物、と考えてます。
前から興味を持っていただいている人もそうですが、
コロナでリモートが増えたことで
農業に関わってみたいという人も
増えてる気がするので、そこを焦点に。
あとは今年の春には、軒先販売をしたいと思ってます。」
農作業で汗を流したあとに、まかないをいただく。
昔の人に備わる、自然の中で身体を動かし、食事をするという
現代では忘れかけている感覚を思い出せるひとときです。
従来の「農家」のイメージの枠組みにとらわれない
さまざまな取り組みに挑戦し続けているよっちゃん農場。
これからも力強い竹のようにしなやかに
新しい農家の可能性を切り開いていくでしょう。
(撮影: 佐竹 歩美)
INFORMATION
よっちゃん農場
- 住所
- 宮城県大崎市岩出山上野目字曲坂45
- お弁当予約
- 電話/090-9742-6493
メール/tougarashi315@gmail.com
- お弁当料金
- ①1,000円②1,500円(税込)の2種類。10個〜受け付け可能。
※給食のある時は毎週木曜日のみの対応になります。
- お弁当配達
- 配達は自宅から20分圏内になります。
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